"Oh my god!" と言っちゃダメ!? ― 神の概念について

19410

View

スポンサーリンク

皆さんは驚いた時に、英語ではなんと表現するでしょうか?おそらく「Oh my god!」という人が多いと思います。おそらく、日本人の多くはGodへの信仰あるなしにかかわらず、「教科書に書いてあった」から、そういっているだけなのですが、これがなかなか厄介な一面を持っている表現だと渡米してから分かりました。今回は私が体験した宗教に関わるエピソードと、神の概念の違いについてお話ししましょう。

スポンサーリンク

体験① 出張帰りの車の中での会話

私が社会人新人のころ、こんなことがありました。確か出張帰りでアメリカ人の女性の同僚と車に乗っていた時のことです。私が何かの際、「oh my god!」といった時、彼女が「その表現はよくない」と私を諭しました。

一瞬、どういう意味かわからず問いただすと、Godはひとりだから、その表現は適切ではないと嫌う人もいるというのです。

「God」に「s」はつけない単数形で言ったはずだと思い、私は一瞬、頭の中が混乱したのですが、彼女の言わんとしていることはそういう意味ではなさそうです。神は自分に対して一人いるので、他人が「my」をつけることを嫌う人もいるという理屈です。

「my god」はダメ?

この理屈には参りました。つまりクリスチャンは、神と自分の関係を重要視するため、他人が自分にいるはずのGodに対して、「my」という形容詞をつけること嫌うということでしょう。考えてみれば、彼女は二言目に神について語り出す敬虔なクリスチャンでして、延々と神について語り出したことも一度や二度のことではありません。

それでは、どう言ったらいいのか逆に問いただすと、彼女は「oh my gosh」と表現すべきと言います。しかし、その表現も「oh my god」の変化形です。協議の結果、「Wow!」が良いということに落ち着きました。

この経験を通じて、アメリカには一部に非常に厳格なクリスチャンがいることを再認識いたしました。その後も、別の職員が経理上のミスを指摘されると、「Godは他人の不手際を指摘することを許さない」と二言目に持ち出してくるなど、アメリカで生活をしていてGodの存在を無視できなくなってきました。

体験② ユダヤ人のバスドライバー

私がカリフォルニアに行った時のことです。運悪く、乗り継ぎの飛行機がキャンセルになり、目的地まで航空会社のチャーターした小型バスに乗って行くことになりました。

このバスドライバーが曲者で、私たち乗客に対して、自分がいかにGodにLoveされているかを延々と目的地までの3時間、ず〜っと話し続けました。話題が話題ですから、乗客たちも否定することはできなかったのでしょう、皆適当に相槌を打ち続けて聞きます。

彼女は乗客一人ひとりに自身の宗教を尋ね始めました。私は基本的に宗教の話題は触れないことにしているので、自分に回ってくる前に、自動的に目をつむり、英語がわからないフリのSleepモードに切り替え、襲ってくる質問をかわしました。

幸いな事に他の乗客は皆、クリスチャンだったようです。ここに多神教の信者がいたら、かなり話がややこしくなったことは想像に難くありません。目的地に着いてから英語で礼を言うと、彼女は私が英語がしゃべれることに驚いておりました。

体験③ 留学時代のこと

時は前後しますが、私が留学生だった頃、友人が教会のミサに連れて行ってくれました。彼女はカトリック教徒でした。カトリックは一般的に儀式を重んじますので、私は喜んで後学のために参加させてもらいました。

ミサの中で、神父さんが「聖母マリアが処女のままキリストを産んだ」と説いても、私は別に指摘しませんでした。「僕が保健体育の授業で習った知識と違う!」と信者の人に問い詰めても、しっかりした答えが返ってくるわけではないことも分かっているつもりでした。

その帰り道、彼女が何もトラブルを起こさなかった私に感謝してきました。どういうことなのか尋ねてみると、先日、ほかの友人をこの教会に連れてきたところ、司祭の話に間違いがあると指摘し始め、彼女はかなりナーバスになったとのこと。その友人とは、私たちの共通の友人で、敬虔なイスラム教徒でした。

体験④ 今日の出来事

まさに今日、宗教に関してまた尋ねられました。私は6週間に一度、美肌効果を狙って、メンズエステに通っているのですが、私の担当エステティシャンはポーランド出身のカトリック。彼女が施療中に、日本人の宗教に関して質問をしてきました。

いわく、「一般の日本人は何を信じているのか?」

私は以前に記事に書いた(『「あなたの宗教は何ですか?」日本人の宗教観について』)ように、日本人は単純に仏教を信じているとは考えておりません。苦労しながら説明をし始めると、彼女は「Godを信じない人がいるのか?」と応酬してきます。

私がすかさず、「そのGodは、キリスト教のGodだろう?世界にはそれ以外にもgodsはいるんだぜ」、というと相手は絶句しました。それだけ一神教の影響が強いということですが、ちょっと考えてみると不思議です。

ギリシャ神話には、ゼウスやアテナという神々がいるのを彼女も知っているでしょう。相手に「ギリシャ神話を知らないのかい?世界には一神教(Monotheism)だけでなく、多神教(Polytheism)もあるんだ」というと、深く考えているようでした。

スポンサーリンク

一神教のGodの概念

考えてみれば、簡単にGodといっても、誰なのかよく分かりません。またギリシャ神話にはアポロやらゼウスといった様々な神がおり、その神々と一般的なアメリカ人のいわんとしているGodは別人のようでもあります。

一体どういったことなのか、調べてみました。なお、ここで英語での表記についての注意事項ですが、「God」の場合、一般的にキリスト教でのGodになり、「gods」ですと、多神教の神になります。

まず大切なことは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神は同一人物(?)ということです。ここに簡単にまとめてみます。

ユダヤ教

シナイ半島あたりの戦争神がもとで、エホバともヤーウェとも呼ばれる。偶像は禁止なので、ヤーウェが座る椅子、箱を担いで象徴にしたらしい。そのうちその箱が契約を収める「契約の箱=アーク」になったとのこと。律法重視。旧約聖書を聖典としている。

キリスト教

ユダヤ教から派生しているため、同じく一神教。旧約聖書をベースとしながらも、信仰の対象が、「三位一体」。三位一体とは、この世のすべてを生み出した創造主「God」、父なる存在の神の子である「救世主イエス」、そして「聖霊」。この三者が信仰の対象。また人間の犯した「罪」の概念がある。西洋社会の根幹にはキリスト教からの影響があることを無視できない。

イスラム教

キリスト教とユダヤ教の両方の影響を受け継ぐ。アッラーが信仰対象だが、アッラーとは固有名詞ではない。アラビア語で「神」のこと。全知全能にして天地万物の創造主。偶像崇拝禁止。信仰心の裏付けとなる「六信五行」という信仰と行いがある。ムハンマドは預言者であり、信仰の対象ではない。

<参考文献>
・歴史の謎を探る会 (編集)『常識として知っておきたい世界の三大宗教
・橋爪 大三郎(著)『世界がわかる宗教社会学入門』)

キリスト教では救世主がイエスであるにもかかわらず、ユダヤ教ではそれを認めていません。アッラーには子もないので、イエスキリストが神の子であることは、イスラムからしてみれば間違っていることになります。上記の体験③で、イスラム教徒の友人がカトリック教会で指摘した件も、このイエスが神の「子」という点についてでした。

同じ神でも微妙に違う

ごく簡単にまとめてみましたが、同じ一神教でも、信仰の対象の概念が微妙に違うことにお気づきになられたと思います。「体験①のGod」と「体験②のGod」は同じ一神教ですが、微妙に違う概念を話していたと考えていいと思います。

おそらく、バスのドライバーのおばさんは、ヤハウェに愛されていることを言っていたのでしょうが、もしかしたら、聞き手のクリスチャン乗客は、キリスト教での神の概念で受け答えをしていたのかもしれません。私がうっかり、「『八百万の神』のことかい?」なんて、火に油をそぞくことをいわなくて正解でした。

私たち日本人は一般的に「God」の概念を持ちあわせておりませんが、世界の人口63億人中、半分がイスラム教徒ないしキリスト教徒です。ユダヤ教徒は基本的にユダヤ人しか信仰できませんので、ごくわずかの人口ですが、経済、芸術の方面で強力な影響力を持っています。

世界の半分の人が一神教を信仰している現実を、私たちは知っておくべきでしょう。

言葉の概念に注意

私はアメリカで生活をしていてしばしば感じるのですが、アメリカ人と話していて、言葉の概念の違いに気をつけないといけません。相手が「God」と切り出してきても、何の宗教の神なのか、確認してから話を進めた方が無難です。

頭の中で「神」と翻訳しても、日本語の神と同一ではありません。日本語の神も、もとは神道の「神」ですから、西洋の「God」を神と翻訳してしまったことが混乱の原因になっています。

ある概念が海を渡り、現地の文化を吸収すると変化することはよくあることです。寿司も海を渡ればカリフォルニアロールになりますし、キリスト教も日本に来れば変質し、宣教師の抱えたジレンマは遠藤周作の「沈黙」をお読みになればつぶさに表現されています。

国際化の中で気をつけるべきこと

現代の私たちが気をつけないといけないことは、国際化社会の中、異なる文化を背景を持つ人間が対峙した際、お互いの持っている言葉の概念に気をつけないと、同じ言語を話したとしても、理解し合えないということです。

言語の勉強も大切ですが、その奥にある文化、背景への知識を持ち合わせていないと、お互いがお互いを理解できないまま、会話は噛み合いません。

最近、私の会社に訪ねてくる日本本社からの若い世代の方は皆さん一様に、私より上の世代より英語ができ頼もしい限りです。日本の英語教育もようやく効果を現してきたといってもいいかもしれません。

次に日本に必要なステップはおそらく、外国の文化や社会構造、宗教についての教育ではないかなと考えています。

スポンサーリンク

この記事に関するキーワード

この記事を書いた人

命かげろう
命かげろう

初めまして!日本の大学を卒業した後、米国の大学院に留学し漂流し続けること10数年。今年で米国生活16年目になります。お笑い好きの40男が加齢臭を漂わしながら、ミシガン州デトロイト近郊から海外生活と留学の知恵や経験をお届けします。

留学希望者におすすめ各国の留学情報を徹底解説!